2011年9月7日水曜日

立ち入り禁止区域に残った最後の男性の生活。海外メディア報道

Daily Mail記事翻訳)

富岡町の道路のあちらこちらにつる草が這い、小ぎれいな庭には腰までの高さの雑草が生い茂っている。

畜舎の中に残されて餓死したその場所で牛の死骸が腐敗している。鶏舎にはウジが這いまわり、吐き気を催させる悪臭が漂っている。

かつて栄えていたこの16,000人のコミュニティの人口は今は1人だ。

立ち入り禁止区域内で暮らす男性と彼の飼い犬。
この1人と1匹が、地震の後に打ち捨てられた日本の町の唯一の住人。


マツムラ・ナオトさんは富岡町に残っているただ1人の人間だと思われる。この町は福島の破壊された原発の近くに位置している。

自然災害により破壊された原発からの放射能に汚染された人の住めないこの土地で、政府の指示にもかかわらず、米農家のマツムラさんは立ち去ることを拒んでいる。

発ガンの可能性は考えていると彼は話す。だが彼は、相棒のアキというやせっぽちの犬とともにここに残ることを選んでいるのだ。

日本の破壊的な地震と津波からほぼ6カ月が経ち、破滅を宣告された福島第1原発を北に、そして南に存在するその他の原発に挟まれたこの町の唯一の住人は、53歳のマツムラさんだけであると彼は確信している。

「もし私が根を上げてここから立ち去ったら、全て終わりです」と、彼はAP通信に語った。「ここに残ることは私の責任なのです。そしてここ残ることは私の権利なのです」

政府の挑発的態度が稀で、社会世論の一致が他のすべてに勝る日本で、マツムラさんは異例者だ。

しかしマツムラさんの静かなる市民的反抗は、311日の災害で避難を余儀なくされた10万人以上の、“文句を言わない原発避難民たち”が直面している窮状を熱く物語っているのだ。

政府は原発周辺に直ちに避難区域を設けたが、避難民たちの移住は遅々としている。

マツムラさんは置き去られた富岡町の動物たちの世話をしている。

津波の被害を受けて放射能をまき散らすようになったことで立ち入り禁止となった福島第1原発周辺の6つの町の自宅へ、避難民が戻ることを政府は禁じている。

「私たちは既に忘れられているのですよ」と、皮膚は革のようにガサガサだが農作業で鍛えられた逞しい体格のマツオカさんは話した。「国の他の人たちは進み続けています。彼らは私たちのことは考えたくはないのですよ」

富岡町の役場は福島県のより安全な街に移転しており、数千の町の住人たちはそこで仮設住宅生活をしている。他の数千人以上が国のあちらこちらに移住している。

危険すぎて人間が居住することができない、放射能漏れによって侵入不可となった中心区域を隠す警察の障壁で、富岡の町そのものは封鎖されている。

夜盗や立ち入り禁止の違反者取り締まりのために、日々係官が富岡に派遣されている。法律によると、立ち入り禁止区域内で捕らえられた者は留置されて罰金を科される。

警察と幾度か諍いになったことがあるとマツムラさんは話すが、当局はマツムラさんに対してほぼ見て見ぬふりをしているのだ。

電気と水道水がないので、マツムラさんは一組の古い発電機で夜を照らし、地元の井戸から水をくみ上げている。彼の食事はたいてい缶詰か、近くの川で捕まえた魚だ。

月に1回か2回、彼は必需品とガスを仕入れるために軽トラックで立ち入り禁止区域外の街へ行くという。彼は、相棒の犬のアキや他の打ち捨てられた犬猫の世話をしている。

「私は政治家たちに、なぜ私がここに残っているのかを話すために何度か東京へ行ったのです。残されて餓死した牛たちのことや、先祖代々の墓の世話をすることが非常に大切な生活の一部となっている住民のことなどを彼らに話しました。ですが、彼らが私の話を理解したようには思えません。彼らは私に、「あなたはここにいるべきではない」と告げただけでした。

マツムラさんは1度は避難したという。だがその後に経験したことが、彼に避難区域内に帰りたいという気持ちを強くさせたのだ。

「親戚の家で世話になろうとして車でそこへ行ったのです。ですが、親戚は私をドアの中に入れようとはしなかったのです。私が放射能汚染されていることを彼女はとても恐れていたのですよ。そこで私は避難センターに行きましたが満員でした。これらの出来事は、私を自宅へ帰らせるのに十分なものでした」

福島原発近くのゴーストタウンで、山道を塞ぐ倒れた樹木。


原発事故から25年を経た今でも、大部分が廃墟であるチェルノブイリの例を指摘する者もいる。

「汚染物質は数10年、数世紀、1,000年、そのままそこにあり続けるのです」と、10年以上チェルノブイリの研究調査をしているサウスカロライナ大学の生物学者ティモシー・ムソー氏は述べた。彼は準備調査のために福島へおもむき、最近帰国した。

汚染物質の除染に長い時間が必要だとしても、“核のディアスポラ“に進展がないことに地元の自治体は徐々に不満を募らせている。

避難住民の怒りをさらに増大させているのは、日本政府と原発操業者の東京電力からの補償金が官僚的な迷宮状態に陥っているからだ。

この危機が生じる以前には、富岡町の平均年間所得はおよそ350万円だった。

かつてはよく手入れされていた家々には草が生い茂り、打ち捨てられている。


育てた米や他の生産物を売って彼が稼いだであろう金額には遠く及ばない、100万円の賠償金を受け取ったとマツムラさんは話した。原発事故によって財政難に陥っている東京電力は、さらなる賠償に関する最終決定を原発が安定するまで延期した。

最終的に払われる合計から、すでに配布された賠償金の金額が引かれるだろう。仮に福島の原子炉が安定した操業停止状態になれば、今年の終わり頃には部分的に規制が解除されるかもしれないと役人たちは述べている。

だが、未来は定かではない。

「私たちが街に戻ることが可能になるためには、除染、下水や道路やインフラの再建築など、多くの課題があるのです」と、富岡町のエンドウ・カツヤ市長は同町のHPへの最近の投稿で述べた。「ですが私たちは希望を持ち続け、少しずつ進んでいかなければなりません」

マツムラさんは今の自分を、第2次世界大戦の数10年後まで降伏することを拒んだ日本の兵士にたとえている。

激しい雨が降り始めたので、彼は自分の水田に続く草木生い茂る山道を下って行った。根っこから作物を引き抜いて指の間でねじり潰し、あきらめのため息とともに彼はそれを灌漑用水路に放り投げた。

今年は金を産む収穫はまったくない。あるいは、これから先も2度とないのかもしれない。


読後の感想:
当記事に寄せられた海外読者さんのコメントによると、マツムラさんの相棒の雌犬は、“Judging from his/her coat, that wolfish Aki may be "Kai ken", one of the six Japanese breed.(被毛から判断すると、狼っぽいアキは6種の日本犬のうちのひとつである甲斐犬かもしれないな)“とのこと。本当かどうかはわからないけれど、アキとご主人が歩いている写真に心惹かれたので当記事を掲載した。

英文記事:
One man and his dog have only each other company in Japanese town abandoned after earthquake
By ASSOCIATED PRESS Last updated at 11:12 AM on 1st September 2011